ライナーノーツより
現れたキューピットの仲人によって
91年に誕生した"麗蘭"は、同年春〜初夏に向けて全国をツアー。
その模様を記録し、物語としたライブ・ビデオと
記念すべきファースト・アルバムを残すという、
予想外のうれしい発展を一段落としてひとまず休止。
翌 '92年4月たった一晩限りのバースディ・ライブで再会。
その一夜の想いとグルーヴを各地へ届けたい精神のもとに、
93年春、2年ぶりのツアーへと全国へ旅立った。
そのツアーのステージを収録し作品として残そうと生み出された意志、
それが「宴」<うたげ>である。
土屋“蘭丸”公平のことばを借りるならば第一期麗蘭は、
この「宴」によってひとまずは完結をみたということになる。
きっとそれは、新たな創作へ向けての旅立ちのための一つの完結。
ある作家の小説に"どこでもないどこか"というタイトルがある。
"麗蘭"誕生時より意識として持ち続けているのは、
その様な場所と時間へたどり着こうとする試みの具像化だ。
ことばとメロディーによってスケッチされた素描<デッサン>に、
ギターという筆があざやかな色調を塗りこめる。
そしてリズムとリフレインは描き出された唄達を架空という大空に解き放つ。
俺と蘭丸は「宴」の全作業を終えたその夜、
初夏に向かう空気たちこめるどこかの路上で、
新たなる出合いを約束して互いの家路についたのだった。
おりしも見上げる夜空に満月が........。
それは“麗蘭”という風光明媚な景色の中でならばこそ可能な、
とき放たれた精神の持続を予感させる象徴のオブジェ。
俺達はきっと何度でもおもしろい事を探して
イメージのヒッチハイクを続けていくだろう......。
ぼんやりとしたゆるい午後の陽射しのテラスに腰かけてるある日、
俺はそよ風に運ばれて響き届いたその唄達と再会するのだ。
そんな一瞬こそが最大にして最良のぜいたくな歓びの瞬間だ。
P.S.“宴”に参加し、共にグルーヴした早川岳晴、鈴木裕文、楠均君、
そしてスタッフのみんなに感謝と乾杯を.......。
'93年初夏 仲井戸"CHABO"麗市
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