Vol.017 2003.03.28 ON AIR
BLUES MAN:Robert Jr. Lockwood
O.A曲名:SWEET HOME CHICAGO
from CD:THE BADDEST NEW GUITAR

いぇ〜い、「ムーンドッグアワー」を聞いてるみんな、そして原島、小杉、元気かい〜という(笑)このお馴染みの呼び掛けも、なんとなんと最後ですねえ。原島、小杉、元気ですかー。小杉君、どうですかその後、まだ顔を見せてませんかあ〜? どっちですかー? 野郎か娘かあー猫かあー、そんなはずないですね(笑)えー、身体大事にしてください、小杉君。原島、元気ぃー。 今夜も始まりました、この時間は私、仲井戸“CHABO”麗市がお送りする、あるいはお送りしてきた、ですね、深夜3時のBLUESプログラム、仲井戸“CHABO”麗市『THREE O'CLOCK BLUES』をお送りします。という訳でえ、あああ…泣くことはないですね(笑)えー、今日が最終回ですね、いつからやらせてもらったのかな、去年の秋かな…11月かな。早いねえ〜、もう夢中でやらせてもらったんで。えー最後ですね、泣いても笑っても。でもこんな番組、しかし無いよねえー、過去にも無いし、これからもまあ現われないだろうね、これだけのクオリティと…(笑)えー、という訳で今日が最後です。

ま、4月だねえ、3月28日でしょ、まだ学校とか…職場が始まってないかっていうことはないね(笑)働いている人は関係ないもんね。ただ、なんか新しい気分ってなんか4月とかやっぱりあるよね。俺みたいな、なんか…いい加減に生きている奴でもなんかやっぱり…桜が咲くとかさ、そういうなんか…やっぱ暖かくなる、コートを脱ぐとか、そういうのってやっぱりなんかちょっと…プロ野球も始まるとかさ、なんかやっぱり新しい気分に毎年向かうよね。で、それはとてもやっぱりいいことだよね、なんかポジティブっていうかさ。みんなはどうですか?新しい4月に向かってスタートしてくださいっという訳で、スタートする時に終わる訳ですね、この番組。なかなかそれもBLUESっぽいですねえ(笑)まあ、去年の秋からやらせてもらって「夜中にBLUES紹介する番組なんかどう?」なんてスタッフに言ってもらって、なかなか俺、ラジオで喋るの…過去にもやらせてもらったことあるんですけど、なかなかステージで自分が喋るタッチっていうのとやっぱり違って、原島君にしても小杉君にしても、やっぱりラジオで喋るのうまいなあなんて思うんですけど。ま、挑戦させてもらったんですけど、やっぱり気が付けば今日で終わりって訳で、やっぱり難しいね(笑)みんなの顔が見えないからね。ステージっていうのは顔が見えるから「あのヤロウ、なんか生意気そうなツラしてんな」とかさ「よおーし、アイツちょっと中心的にイジメて喋ってやろう」とか(笑)逆になんかすごくいい顔つきの人とか、すごく喋りいいなとか、そういうことの葛藤で喋るんだけど。いかんせんこれはみんなどうやって聞いているのかもわかんないしね、そういう怖さとかさ、なかには二人でいちゃつきながら聞いている奴もいるかもしれないし。そんなとこに向かって真剣に話している自分も口惜しいなとか(笑)そんなこと思うと喋れなくなっちゃったりさ。つまり顔のない人たちに喋っている難しさっていうかな、反応が無いっていうか、直接は、そういう難しさを痛感しました。

でもなんか…俺、BLUESとか好きで、自分がBLUESなんかがラジオから流れてきて感激した若い日とかね、今だってそうだけど、BLUESに限らず自分の好きな音楽が流れた時にさ…これは片岡義夫さんかな? っていう作家の人の本に出てくるフレーズだけど、出てきた時にボリューム上げるよね、「おおっ、もっと聴きてえよ」とか。そのことをヒントに俺、『ラジオ』って唄をかいたくらいなんだけど。なんかそういうのって自分で好きなCDを買ってきてかけるのとまたなんか違うタッチがあるよね。「あっ、流れちゃったよ」って。俺、大好きなビートルズと出会った時もそうだったけど「あっ、なんだよコレ!」って、ボリュームばあーっと上げて「これがビートルズか。うるっせーなあ、でもカッコイイなあー」とかさ。みんなにとってそれは例えば誰だろう? エアロスミスかもしれないし、ブリトニーなんとかって女の子かもしれないしさ。そういう自分の好きな音楽がラジオから…なんか“魔法の箱”だよね、ラジオっていうのはね。もちろん今はメディアとしてはテレビの世界だけど、やっぱりラジオのロマンチックさにはテレビもかなわないんじゃないかな。映像が無いだけの、なんか不思議な魔法の箱…ラジオね、そこから流れる、ましてBLUESなんて今きっと本当にあんまりかからないっていうか、ほとんどかからないんじゃないかな。特にこの番組では自分の好きな古い古いBLUES MANの人なんかを沢山かけさせてもらったんだけど、なるべくかからない人たちっていうかな、BLUESに影響を受けた…ストーンズも来日したけど、ストーンズのもっと前にいる人、エアロスミスの前がストーンズだとすればストーンズの前にいる人たち、エリック・クラプトンの前にいる人たち、そういう人たちを自分の番組で紹介出来たらいいななんて思ってやらせてもらいました。

えー、今日はほんと最後だね。最後の一人はね、こんな人を選びました。番組の最初、番組始まって第一回はロバート・ジョンソンさんっていう人、ある意味でBLUESの象徴的な人だね、それを紹介したんだけど、今日はねなんと、そのロバート・ジョンソンさんの義理の息子としての人生を歩んだという(笑)まあそんなつながりで選びました。他にも理由はあるんだけど。実はそのロバート・ジョンソンさんのお母さんのボーイフレンドだったらしいね、なんか(笑)そういう人です。ロバート・ジュニア・ロックウッドっていう人です。1915年生まれ、えーすごいねえ、1915年生まれ。そして彼は現役です。2、3年前かな、シカゴのブルース・フェスティバルってあるんだけど、そのフェスティバルで俺はサブ・ステージで唄っているロバート・ジュニア・ロックウッドさんを見ました。俺の親父もまだ嬉しいことに元気なんだけど、85、6(歳)だね、同じ歳ぐらいだね。一番古いんじゃないかな? 先週のバディ・ガイのお父さん格だね。そういった意味でやっぱりまだ現役でやってくれている貴重なBLUESの生き証人かもしれないね、そんな人を今日はかけようと思います。それでね、随分前にソニー・ボーイ・ウイリアムソンさんってハーモニカの人をかけたけど、このロバート・ジュニア・ロックウッドさんって人は、そのソニー・ボーイ・ウイリアムソンさんって人と、1930年〜40年頃、ミシシッピーのヘレナっていう街でラジオをやっていたんだよ。それがなんか、自分がラジオをやらせてもらったから、なんかやっぱり因縁っていうかさ、そんなの感じて。そのソニー・ボーイ・ウイリアムソンさんの時にこのCDをちょっと聴いてもらいたかったんだけど、当時、俺見つからなかったのね。今日持って来たの。それは当時の番組の録音が残っているの。それでハーモニカ、ソニー・ボーイ・ウイリアムソン、それで今日最後にかけるロバート・ジュニア・ロックウッドさんがギター弾いてるんだよ。その番組のね…ちょっと音かけてよ、松葉君。せっかくだから。(♪音を聴きながら)…なんか喋ってんね…“KING BISCUIT TIME〜”ってコレ番組名だね、もう長いねえ、60年ぐらい前だよ、お昼の12時ぐらいからやっていたみたい。今なにか紹介しているんだよね、これね。すごい臨場感!曲紹介。イエ〜イだね(笑)すごいねえ、アハハ。 ハイ、ま、この音源がCDに…発掘されて、貴重だよねえ。これはお昼の12時ぐらいから15分くらい毎日やっていたらしいね。あ、金曜までか、月曜からね。だから、お昼休みにきっと、綿花畑で仕事をしていた人なんか、帰ってみんな夢中でラジオつけて聴いていたんじゃないかなBLUES。ソニー・ボーイ・ウイリアムソンさんっていう人が…なんかとうもろこしかなんかの宣伝が付いた番組だったらしいね、当時ね。俺もミシシッピーのヘレナっていうこの番組やっていた街とか何年か前に訪ねたんですけど。まあ何年か前に訪ねて相当な田舎の街でしたから、1930年代ってどれほどの景色だったかね、そこへラジオでこういうの音楽流したら、やっぱり 仕事でさ…昼休み聴きたいよねえ。「イエ〜イ、ぶっ飛ぼうぜ〜」なんてBLUESで唄うわけだからさ「元気かー」なんて。貴重なの聴いてもらいました。で、今ハーモニカと一緒にギター弾いていたのが若き日のロバート・ジュニア・ロックウッドさんです。この人は2、3年前にシカゴで見れたと言ったけど、もう一つ、今日かける理由としては…実はもっと前に見ているんです。日本にBLUES MANが初めて来たのが…ま、正式に来たというかな、コンサートをやるていうんで来たのが、この人なんです、実は。『第一回 ブルース・フェスティバル』っていう、これは東京の…もう呼び名変わっちゃったけど、郵便貯金会館。今は何て言うの?メルパルクとかそういうの? 郵便貯金会館ってとこで『第一回 ブルース・フェスティバル』っていうのが開かれたんです。これをだから、俺が 行ってるんだよね。この時に来ました、この人。それからスリーピー・ジョン・エステスさんっていう盲目のシンガーだね、この人が来て、それからロバート・ジュニア・ロックウッドのバックで、シカゴ・ブルースのリズム隊の最高峰と言われていた、もう亡くなっちゃった人たちもいるんだけど、エイシスっていうのが来たんです。で、こういうのは俺たちみたいなBLUES少年…本やレコードなんかでほんとに名前を見ていた人たちがいきなり来た訳です。それを見てもう…郵便貯金の俺は前の方に座れたんだけど、もう出て来ただけで本当に涙出てきちゃうような、ほんとそういう人たちだったね。えー、素晴らしかったですね、感動しました。ほんとのBLUES MAN見れたっていう。そんな人です。日本に初めて来たBLUES MAN、そんなところからも今日は番組最後としてこの人紹介しようと思います。みんな、この人のCDとかね、映像も残ってますから、ぜひ見てください。そういう訳で…全部で何人紹介出来たのかなあ?18人? だからもう何百分の1だね。今、ブルース・コーナーも大手のレコード屋さんにいたっくさんあるから、自分で好きなBLUES探してください。えー、そんな音楽もストーンズやいろんなロックの根っこにあるんだぜっていうことで、自分で沢山の人を紹介したかったんです。みんな自分の好きなBLUES MANみたいな人探してください。俺はもちろんBLUES大好きだけど、カントリーも好きだしボサ・ノバも好きだし、今いろんな音楽大好きなんだ。今ちょっとイギリスの古〜い古〜い、何世紀も前の唄に興味があるとかね。でもなんかそれが、ずーっとこう…根っこが、お互い出どころ違っても、どこかでリンクするんだよね。カントリーとBLUESがリンクしたり、リズム&ブルースみたいのあるし…。だから何かな、マライヤ・キャリー好きな人もいるだろうし、プリンス好きな人…そういうなにか、みんなの根っこに、一番根っこにBLUESっていうのはあるのかな? そんな気がするんだけど。そんなことをこの番組で感じてもらって、みんなが音楽、BLUES探してくれたら嬉しいです。俺も、もっともっとBLUES知りたいんで。いろんな音楽、みんな聴いてください。えー、番組やらせてもらって、スタッフのみなさんありがとうございました。松葉君、毎週毎週ありがとう。松葉セレクトってなんか良かったねえ。若々しかった(笑)俺がやっぱりジイちゃんばっか選ぶから、松葉セレクトっていうのも俺は楽しみでした。それからミキサーで菊池君、お世話になりました。いつも俺、ギター抱えて来ちゃうからマイク立ててくれたりして。それから今日始めて最後に会えたんだけど八木君、青年。BLUES好きなのかな? 彼も。ラップとか好きなんじゃないの? でもねえ、ラップの大元にもBLUESあるし、八木君、またどこかで会いましょう。それから松葉君の親分でもある、俺の数少ない先輩かな、かまやつさんほど古くないんだけど(笑)加藤与佐雄さんっていう兄貴が居て、こんな番組やらせてもらいました。もうラジオと共に生きたような人なんだよね、なんかロマンがあるっていうか、これからもいい番組作っていってください。原島、小杉〜、原島君、君には一回しか会ってないのに、原島なんて呼び捨てしてごめんねえ〜、またどこかで元気に会いましょう。小杉君、元気な赤ちゃん産んでください。えー、聞いてるみんな、夜中に聞いてくれてありがとう。なかなかいい番組だっただろう? こんなのないぜー。じゃあ、最後にそんな偉大な偉大な偉大なお父さん、ロバート・ジュニア・ロックウッド、まだまだ元気でやって欲しいです。『THREE O'CLOCK BLUES』の最後にかけます、ロバート・ジュニア・ロックウッドさんで…象徴的な唄です。こういうことを目指してみんなシカゴを目指したんだね。「SWEET HOME CHICAGO」イエイ、バイバイ。



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