Vol.007 2003.01.17 ON AIR
BLUES MAN:Bessie Smith
O.A曲名:Nobody Knows you when you've down and out
from CD:The Complete Recordings, Vol.4
はーい、「ムーンドッグアワー」を聞いてるみんな、起きてるかあ〜、起きろー! 原島、小杉、3時だぜー。えー、という訳で今夜も始まりました、この時間は、私、仲井戸“CHABO”麗市がお送りする、深夜3時のBLUESプログラム、いいですねえ〜、仲井戸“CHABO”麗市『THREE O'CLOCK BLUES』の時間です。という訳で、えー、気がついたら、今年に入って今日が3回目だね。つまり去年の12月から、これやらしてもらっているんで、もう、気がついたら7回目という訳ですね、ラッキーセブンですね。ま、早いですねえ、えー、なんかまだ自分でこう…落ち着かないんですけど、どんな風にこの番組が届いているのかなとか、どんな人たちが聴いているのかなとか、何人ぐらい聴いてるのかなとか…、ただ自分では、この番組が始まる時に、なんか今、RADIOからBLUESなんか流れるのはそんなに無いから、そんな番組がちょっとあったらいいですねなんてところから、やらせてもらったんだけど、夜中にBLUES聴いているのはどんな奴なのかな? とか想像するんだけど、まだなんか姿が浮かばないんだよね。もしかして、ハガキとかくれると嬉しいんで、なかなか夜中に聴いている人はハガキなんて書くタイプじゃないかもしれないけど。もしも書くような気分になったらください。今はメールとかなの? 俺はつい「ハガキくれ!」とか言っちゃうけど。すいません、古い奴なんで(笑)えー、なんか一報くださいよ「聴いたぞー」とか。学校とか職場で「お前、いい番組始まったよ、聴けよ」ぐらいに言ってくれよー、金曜の夜だからね、土曜の前だから。

っていう訳で7回目なんだけども、今日はね、いつも、なんかそれでさ、一週一人でさ一曲だからね、なるべくその…取り上げるBLUES MANの話やエピソードとかね、俺なりに知ってる面白い話とか話そうと思って自分なりにメモとかしてくるんだけど、なんか、つい、その前半のこの入り口に喋り過ぎちゃって、気が付くといつも「あ〜、喋り切れなかったー」とか、そんなことばかりなんだけど。今日はね、初めてだね、この7回目にして、女性のアーティストを取り上げます。別にあの、女の人を後にしようとか、そういう気はなかったんだけど。つまり、実は、BLUES…女の人、絶対数はやっぱり少ないよね。そのROCKとかそういう分野っていうか、ま、分ければ。だけど、もちろんいます。みんなが聴いている人の中でわりとBLUESっぽい女性シンガー…、今で言えば何? ボニー・レイットさんとかね。ま、彼女はR&Rでもう、グラミー取ったりしているけど、あの人なんか、いわゆる出どころはBLUES MANなんか聴いて育って、自分でもボトルネック・ギターなんてね、とてもうまかったり、そういう女性だけど。あと、もっと言えばジャニス・ジョプリンなんていう人はね、きっと日本の女のロッカーなんかにも沢山影響を与えていると思うけど、今夜はその、ジャニス・ジョプリンやボニー・レイットさんなんかの、ほんとにきっと大元にいる人だね、ベッシー・スミスさんっていう人を取り上げてみました。

この人は…、ちょこっと、今回、自分で調べて来ましてねー、もう、ディレクターの松葉君に「自分で調べろ」って言われてます(笑)ベッシー・スミスさん、先週のジョン・リー・フッカーや今年の最初のマディ・ウォーターズどころじゃありませんねえ、もう遥か昔ですねー、応仁の乱の頃に生まれてると…、そんな昔じゃないんですけど、1894年とかって、これ正確な…あの、あれじゃないらしいけど、大体そのぐらいらしいねえ。1900年の前だね、ほんとに昔の人だね。で、俺、この人、もちろん大好きで、20歳代にとてもよく聴いていたんだけど、そんなことの経緯もあるんだけど、実は、その93年に、1993年にアメリカへのBLUESの…まあ、ロバート・ジョンソン、この番組の最初にかけたロバート・ジョンソンの伝説を探してなんて旅をした時に、実はこのベッシー・スミスさんにまつわる、ある土地を訪ねたんです。それは先週のジョン・リー・フッカーが生まれた、クラークスデイルっていう街が、アメリカのメンフィスの南にあるんですけど、周りは綿花畑ばかりのね。そこはロバート・ジョンソンが唄ってた街であったりとか、いろんな…アイク&ティナ・ターナーっていうBANDがあるけど、夫婦のね。そのアイクさんが生まれたりとか、いろんなそういう、ゆかりのとこなんです。

で、そこで、実はベッシー・スミスさんが亡くなった、当時、病院だった、今はHOTELになったリバーサイドホテルっていうのがあるんですね。それがまあ、ちょっと俺、ある本で知って、そこを訪ねたくて、ま、訪ねたんです。そんなところから今日、ベッシー・スミスを選んだんだけど。なんかそこはね、ベッシー・スミスってのは、車の事故で亡くなっちゃったんです。その、クラークスデイルのそばのね、ハイウエイで。で、当時やっぱり南部だから、人種差別とかも時代も時代だから凄くて。で、轢かれちゃったんだけど、病院に担ぎ込まれても、そこはやはり白人の人しか受け付けないみたいな、とんでもない、やっぱり当時差別があって、タライ回しみたいなことに、どうもあったらしくて、結局その病院で息を引き取ったらしいんだよね。で、そこは、やっぱり歴史的なシンガーだからっていうんで、残っているんだよ、その病院が。もう古いんだけど、あと、部屋も。で、そこを訪ねたら、日本からわざわざ来たっていうんで、その、ビッグ・ママさんっていう太ったおばちゃんが居たんだけど、もう亡くなっちゃったんだけど、2000年に。そのおばちゃんがとても親切にその部屋を紹介してくれて。ま、訪ねて来るBLUES好きな奴がいるからね。来た人はみんな訪ねてくれて「ここのベットで、ベッシーが亡くなった」って、コレ、英語ですけどね、「亡くなったんだ」みたいな説明を受けて、とてもなんか、胸に迫る想いをした…あの、経験があります。そんなベッシー・スミスですね。

ま、彼女はとても大柄な人だったらしいね、それで男勝りで男もぶん殴っちゃうみたいな。やっぱり大酒飲みとかでね、ジャニス・ジョプリンなんかもそうだけど。そんなこともジャニスは憧れちゃったのかもしれないけど。とにかくもう、なかなか大変な人生をどうも送った人みたいです。なんかそれで…何ていうかな、家に落ち着くみたいなこともしなかったみたいな人で。一番すごいエピソードはね、ベッシーがすごく、なんか、世の中に知られるようになって、こう…ちょっと稼げるようになった時、その、お金貯めるとかって発想はないんだけど、汽車をなんか買っちゃったみたいな。それで、TOURやってホテルとか泊まるのも面倒臭いから汽車をなんか買っちゃって、それでみんな移動して、そん中でパーティやったり、それでこう…TOURをやったっていう。そういうなんか、もの凄い…ある意味でBLUESっぽいっていうか、それでまあ、破産しちゃうとかね、そういう…人生的には、ある意味、BLUESそのものを生きたような人だったみたいです。今もリバーサイドホテルって、その、ベッシーの亡くなったホテルあるから。 あの、鮎川誠君、まこちゃんなんかも訪ねたみたいね。えー、日本からもBLUES好きな人が随分訪ねているみたいです。みんな、時間とあれがあったらぜひ、メンフィスの南、クラークスデイルのベッシー・スミスが亡くなったとこなんか訪ねてみてください。じゃあ今日はね、ベッシー・スミスの…、こんな曲がね深夜ね、日本のラジオから流れるって無いっ!絶対。エライ!この番組。聴いて、ラジオから流れると本当にムードがあると思います。エリック・クラプトンがね、この曲カヴァーしてます。これ名曲。ベッシー・スミスの名唱でちょっとロンリーに響くけど、とてもいい曲です。今週はベッシー・スミス聴いてお別れします。また会おうね。「Nobody Knows you when you've down and out」。“いい時ばっか私に付き合って、私が落ちぶれたらあんた見向きもしないだろう”って、そんなちょっと手厳しいベッシーの叫びです、聴いてください。来週ねー。



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