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“ブルースを探して”の旅のいよいよ初日は、ロバート・ジョンソンの縁の地としてリスト・アップした街ヘレナへ、今回の旅の間中たくさん世話になることになったコーディネーターの遠藤君の軽快な運転でドライブして行くことから始まった。
ハイウェイ61を少し行けば、やがて広大に広がる綿花畑が目の前に現われた。その昔ブルースというものに取り付かれて以来、レコードや本やイメージの中に何度も現われたその景色が、とても静かに、しかしディープに、まるで降り積もった雪景色の様何処までも横たわっているのであった。途中ビデオ撮影のため車を降り、綿花畑へと足を踏み入れれば、そこは泥<ぬか>るんだ感触。ふと見ると伊藤エミ君は“仲井戸の友”用にせっせと綿摘み。えらーい!! いよいよ現地にやって来たと実感し始める我等を乗せた車は 、やがてハイウェイ61を右に折れ、本物のミシシッピー河を渡り、小さな田舎町ヘレナへ到着した。抜ける様な青空から柔らかに照らす太陽と、心地良い風にあおられ、あまりにのどかな景色に居ながらも、仲井戸君の心はすでに高くジャンプするのであった。だって、あのロバートが歩いた町だ……。
堤防沿い、川辺、ストリートでしばし撮影したあと、街角のレコード屋を覗けば、ひえっー!! うわぁっ!! ってなくらいブルース三味の在庫に狂気乱舞。下宿したいくらいに早る気持ちを押さえながらも、貴重な品を何点か手に入れたのだった。表に出れば、あたりは早、夕暮れ色。街ハズレの空地に腰を下ろした我等は、ハンバーガーとコーヒーでアメリカした。デザートはビデオ・チーム林君の吹くブルース・ハープ“家路”。その音色は、ずいぶん遠くまで来た事を告げる響きであった。この町は『キング・ビスケット・タイム』というラジオ番組が四十年代当時始まり、ブルースを人々に届けた町でもある。ああ、あの路地を曲がってギター片手に、今にもR・ジョンソンが歩いてきそうだ。
広大な夕焼け空を背に、再び綿花畑を抜けハイウェイ61を家路に着く我等であった。

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