六十年代、ティーンエイジャーだった頃、多くのブリティッシュ・ビートグループを通じて出会ったブルース。 高校を出てデザインスクールに通う頃はまさにどっぷりとブルース漬け。本当にたくさんのブルースマン達のレコードを探し、聞き、見よう見真似でギターを掻き鳴らしてきた。 僕の音楽活動の根底にずーっと有形無形にあり続けているブルース。 その定義などはよくわからない。 しかしその魅力の何がしかにずーっと取り付かれている。 形態としてのブルース、イメージとしてのブルース、フィーリングとしてのブルース、何を今さら、しかし今だからこそってな想いもあって、おもいっきりおもいきって、若き日に何度も夢見た、彼の地へ旅してみることにした。彼<か>の地とは勿論ブルース発祥の地とされている、アメリカはミシシッピー、デルタ地帯だ。 そして多くのブルースマン達が何がしかの自由な息吹きを求めて北へ向かったように、北の大都市シカゴまでのコースを描いてみた。 ブルースとは悲しみや苦しみの表現だと思ってきた。 ずーっとそう思ってきた。多分共感したのはそういったフィーリングだったと思う。そんな風に誤解してきた。 今頃になってやっと気がついた。 ブルースとはそういったヘビィな気持ちや状況といったものを突き抜けていこうとする静かにも力強いフィーリングなんだと。 勝手にそう理解しはじめている。 そんなブルースというものの発祥の歴史や足跡、 そして現実を訪ねてみようと今こそ思いたったのだった。 数多いブルースマンの中でもスタイル、時代を越えて圧倒的に自分にとって大きな存在として響きわたるロバート・ジョンソン。その人の伝説と足跡を訪ねることを一つのネックとして今回の旅のテーマとした。勿論だからといって、そんな堅っ苦しい、難しい旅じゃない。自分の好きなものを探して外出するといった無邪気な発想の旅だ。事の善し悪しの基準なんてありゃしない。 だ、だけど好き嫌いの基準なら確かにあるはずだ。 ブルース、 大好きなんだ、 それが………。
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