King Biscuit Time
1996.10.06 on air
はい、こんばんわ。えー...仲井戸麗市です。仲井戸麗市、チャボです。という訳で、記念すべき、私の番組が本日から始まりました。よろしくお願いします(笑)。
えー、知らない方も勿論たくさんいると思うんですけども、まっ、追々自分の自己紹介なんかもしていきながら進めたいと思いますけども、とりあえず、私、仲井戸麗市と申します。
えーと、ラジオはですね、もともと私の正式な職業はバンドマンなんですけども、おー、ギターを今日も、えー、ちょっと不安なんで、ギターを持ってますけども、ギターを弾いたり、歌を唄ったりゆうのが、まっ、曲を書いたり、そういうのが私のメインの仕事なんですけども、おー、まぁ、あのー、それも追々きっとたくさん話すでしょうけど、ラジオっていうのも思い込みっていうのがたくさんあって、何年か前に…四年位前かな、四年半位前に一度、某放送局で、あのー、ラジオやらせてもらったことあるんですけども、それも深夜番組でした。えー、それからもう、ほんとに久しぶりに、えー、やらしてもらうことになりました。なんか、あのー、またラジオみたいなの出来たらいいなと思ってた時に、丁度、こういうお話を頂いてですね、本人も嬉しく思っています。えー、それではですね、いろんなこという前にまずは何はともあれ一曲聴いてもらお(笑)、ご挨拶変わりに聴いてください。いろんな思いがあって、一曲目、これにしました。あまりにも有名な(笑)ザ・ビートルズの『抱きしめたい』を一曲目に聴いてください。
曲/「抱きしめたい」ビートルズ
いやー、いいですね、やっぱりビートルズをかけちゃいました。スタッフの人とも相談して、一曲目、何にしましょうかとかいろいろ考えたんだけど、夕べ、今、アナログで聴いてもらってるんだけど、自分のレコード棚から、夕べいろいろ考えちゃった、何にしよーかなーとか、自分の好きな曲かけていいってゆうんで、いろいろ迷ったんですけども、まっ、追々出てくるけども、ブルース好きだったり、R&B好きだったり、たくさん好きなア-ティストいるんですけども、まぁ、いろんな意味で自分にとって音楽をやるきっかけになったこのビートルズを、おー、最初に聴いてもらったんですけど。まぁー、いいですねぇ。今、63年の終わり位かな、俺は64年だと勝手に思っちゃってるんですけど、『MEET THE BEATLS』っていう彼らの最初のアルバムから、の一曲目に入っている『抱きしめたい』を聴いてもらいました。
えー、そんな訳で、これはねぇ、まっ、今もビートルズっちゅーのもラジオから、あのー、今みたいに流れてきたのを、ある日ティーンエイジャーの頃聴いたんだけど、もともとはねぇ、たぶんもう今は、今頃は優勝したことで、セ・リーグの王者として、もう喜びまくっているであろう、あの巨人軍の長島!! …負けしてねーだろーなぁ、まさか。逆転負け、中日、優勝してんだろ〜?! なぁ…。長島監督に憧れる野球少年だったんだけど、俺は、あのー、一九五○年生まれです。
ちなみに、今のビートルズのジョンとちょうど十年違うという。そいで、ガキの頃はずっと、あの、野球少年だったんだけど、63年か64年に突如、かの英国から現れた、あの四人組によって全部ひっくり返っちゃったみたいな、少年だったんです。ある日なんか、どっかから流れてきた、そのー、ビートルズかなぁ、ヤァーイェーイとか、ジャジャジャーッ、とか、なんかそういうしかなかったんだけど、ほんとに凄いものと出会っちゃったなぁっていう、その時点で私は、バットとグローブをもいらないっ! みたいな感じになっちゃって。さあ、なんだろう? あの音は…。これはエレキギターってことがわかって、エレキギターを一生懸命、あの探しに行く少年になっちゃったんですけど、そっから、どんどんどんどん、あの、生活が乱れていくっていうパターンがあるんですけども…(笑)、とりあえず、ほんとに、あの…、そいでねぇ、今みたいにラジカセみたいな立派なものがあるわけないし、もちろんウォークマンなんかもないし、当時あるとすればトランジスタラジオみたいなもんだよねぇ、ゲルマニウムラジオとかそんな言い方だったけなぁ、ほんとにその、今でいえばおもちゃみたいなラジオがなんか、うちにあったね、台風情報とかなんかそういうのを聴くためにあったんだろうね。それをなんか、親父だか、お袋だか、ちょっとかっぱらってさ、それで、それをもって学校行ってたね。それを授業中聞いてた。もちろん勉強なんかしないほうだから、まぁ、ビートルズもそうだけど、だんだん、ストーンズとか、いろんなのそういうラジオで出会って…、なんかラジオを自分だけでこう聞くっていうシチュエーションが、なんか勉強もできないし、野球もやめちゃったし、なんか、もうそろそろ、俺は、新宿の街を通って学校行ってたんだけど、そういうところで遊びだした少年にとっては、なんかラジオって言うのは、自分だけの大事な、アレがあったねぇ…。友達も、俺あんまり、バンドやってる一人か二人ぐらいの友達以外にあんまりいなくてねぇ。なんかそのー、エレキギターとラジオっていうのは、もの凄い自分にとって大事なものだったりとか…、いいんだよねぇー、おめーとここでよぉー、ビートルズききゃいいんだよ! みたいな、そういう少年だったのかなぁ。だから凄くラジオへの思いってのがあります。小さな箱への…。
曲/「ラジオ」仲井戸麗市
はい、えっと、では急に強引にかけちゃったんだけど、これは自分の曲で、何年か前に出した『DADA』というアルバムなんですけども、その中の一曲で文字通り『ラジオ』という曲です。
これはね、えっと、もともとを言えばね、えっと、知っている方も沢山いると思うけど、片岡義男さんっていう作家がいるけども。まぁ、私はそんなにたくさん彼の作品を読んでないんですけど、たまたま、ある人から頂いた本が…、タイトルちょっと忘れたんだけど、えー、とてもいい本だったんですけど、その中にねぇ、いろんな人、プレスリーの事とかいろんなことが書かれている本なんだけど、あのー、ちょっとこの曲に、モチーフになった文章があって、それはとてもよかったんですけど。それはあの、アメリカのある街を女の子が車に乗って、走ってて、そいである曲がかかった時に車をね、その路上に止めて、ボリュームを夢中で上げたっていう、そういう話なんですけど、つまりその、なんかその話を、ポピュラー音楽っていうか、そういうの、その、例の車に乗ってたりとか茶の間でラジオ聞いてる時に、いかにその時にボリュームをあげた…か、みたいなとこで価値が決まるんじゃないか…。正確な言葉は覚えていないんですけれど、そういう話だったんです。それはとても良くて、村上龍あたりもなんかでその文章を誉めてたけど、俺もその話は、とても良くて、そのことをモチーフに一曲作りたかったんです。
なんか、今聞いてる人もそんなことあると思うけど、なんか自分のねぇ、好きな曲が流れたとき、あげるよねぇ? 俺だったらガキの頃、ビートルズかかったら、わっ! ってやっぱあげたもんね。ストーンズかかったりとか。そういう、なんか……モチーフから作った曲なんです。それでしいてはとても、俺もこういう仕事してるから、自分のレコードとか…が、ラジオでかけてもらった時に、誰かがどっかで、寒い夜でも、ねぇ、パッと俺の曲かかったら、ラジオのボリュームあげてくれたりしたら、最高だななんてそういう思いで作った曲です。えー、そんなわけで、えー、自分のレパートリーの中から『ラジオ』を聞いてもらいました。
曲/「EVERYDAY I HAVE THE BLUES」B.B.KING
はい! イャーッ…、いいですねぇ、今時こーんな曲流す番組ないっ! だーいたい、どこ聞いても似たようなのかかっとるっ! そういう怒りはとっといて、おいおい怒りを出しますからですね(笑)、あのー、まぁ、さっきのビートルズとかティーンエイジャーの頃、まぁ、ローリングストーンズなんかもそうなんですけど、そういう人たちを聞いてく中に、だんだん、えー、俺はこういう人たちに出会ったんです。
今のは、B.B.KINGですけども『EVERYDAY I HAVE THE BLUES』っていう、毎日俺はブルースを抱えてるんだ、みたいな歌だと思うんだけど、そのブルースっていう音楽とか、黒人音楽にすごくひかれていくんですけども、おー、あのね、ほんと、随分前だけど、19歳位の頃かなぁ、俺は、あの、高校卒業してぶらぶらしちゃって、結局、あの、デザインスクールみたいなとこに通うんですけども、その頃にね、バンドももうやってて、多分その頃だと思うんだけど、なんかねぇ、あの、某雑誌の当時編集長だった中村とうようさんみたいなちょっと偏屈なおいさんいるけど、彼がなんか、ブルースの番組を、今思えばすごくユニークな番組だったと思うけど、やってたんだよね。で、そいで、俺はなんか、その番組を毎週楽しみにしてて、ほんと、他では聞けない曲をたくさん流してくれたんです。んー、そのDJのね、中村さんが。そいでその時にきっとこの曲もかかっ…たんだと思います。あのー、そういうことってとても印象残ってる。やっぱ自分で、あの、レコード自分で買って聞くのも、あれなんだけど、い、いきなり自分がすっごい好きなのが、ラジオからぱっと流れてくるってのも、また違ったこういう嬉しさがあるっていうかねぇ、あの、こういうブルースのっていうのは、ほんとに、特に日本のラジオじゃかからないから、ほんとに当時嬉しかったです。だからそれをちょっと今の聞いてもらってる人に、もしかして、ブルース好きで、でもよぉ〜、最近のラジオつまんないからよぉ、なんだよぉ、またマライヤ・キャリーかぁ?みたいな、ボン・ジョビでもいいけどよぉ〜、みたいな(笑)そういうヤツも、まあ、みんないいけども、ねぇ、やっぱりこういうB.B.KINGとか、あの、ブルースのたくさん、んー、ブルースなんかの曲をせっかくだからかけたらどうかなぁ、とか思っています。ウェー。
そんなわけでですねぇ(笑)、私はですねぇ、えー、唐突ですけどもね、あのー、何年か前にねぇ、もともと旅とかあんまり得意じゃないんだけど、話の続きからいくと、アメリカの方にちょっと旅したんです。それは、今のB.B.KINGとか含めて、ブルースみたいな、このー、音楽のルーツをちょっと探してみたいなぁーということをふと思い立って、もう今を逃すと、多分一生行く機会はないんじゃないかっていう、自分の、まぁ、ある種の思いのもとに、あっ、今ちょっとかかってきたけれど、いーいですねぇ…(笑)なんて。ちょっと聞いてよ…。
曲/「Cross Road Blues」
ROBERT JONSON
これはねぇ、ロバート・ジョンソンっていう、今のB.B.KINGよりもっと、元にいた人ですねぇ、古い人で…。ローリングストーンズなんかのおじいさん株ですねぇ。この元々はロバート・ジョンソンってのは、いろんな伝説のある人なんだけど、その人の伝説を辿るっていうのをひとつのテーマにして、アメリカの、その、どうして、ブルースって音楽が生まれたのかな、ビートルズやストーンズや、エリック・クラプトンや、ジミ・ヘンが、えー、たくさん憧れることになる、ブルースっていう音楽が何処で生まれたのかな、みたいな事をなんとなく自分で探したくて、旅したんです。あのメンフィスへ降りて、メンフィスから南へ下って、ちょっと話が前後しちゃうけど、そのメンフィスから最初に南に下ったところにヘレナという町があんですけども、ここがなんと、この番組と繋がりがあるというか、そこのヘレナの町で一九四○年代かな? 30年代の後半からあるラジオ番組が、あの、あったんですねぇ。それは、ソニー・ボーイ・ウイリアムスンっていうハープの人が、これがこの番組のテーマ曲として皆さんに今日、最初に聞いてもらった曲ですけども、この人がやってた番組なんです。それがなんと! 『キング・ビスケット・タイム』ってんですねぇ。これはキング・ビスケットってなんかこの、とうもろこしで作ったなんか、飲み物かなんかの、お菓子かな? そういう物の商品を宣伝する、当時十五分番組だったらしいですね。「いゃー! 『キング・ビスケット・タイム』始まったぜ!」つって、ねぇ、当時は、もちろんTVはないし、ラジオだってほんとに少ないし、その十五分、しかも昼間だそうです、十二時から。ちょうどみんなが、働いてる人とかが、ご飯を食べる頃にそのソニー・ボーイ・ウィリアムスンの司会の、しかも音楽もやって、十五分間の『キング・ビスケット・タイム』っていうのは、当時、たくさんの人が楽しみにしてたそうです。で、そのヘレナって町に行ってみたりとか…。そこは今流れているロバート・ジョンソンなんかも立ち寄ってプレイした町であったらしくて、まぁそんな旅をしたときにねぇ、あの、やっぱりずっと車でまわったんだけど、あのー…、やっぱラジオ聞いたんだよね(笑)。今日の話の結びつきで言えば。
なんか、あのカーラジオってのも、やっぱりね、独特のにおいがあって、みんなも車から聞く曲っていうのも印象があると思うけど、ずっとラジオつけててもらって、そん時はねぇ、やっぱりね、ちょっとロバ・ジョンとか、B.B.とかすごいブルース染みた。やがて、俺、シカゴへ乗り込んでいくんだけど、シカゴの街明かりが遠くからもう見えたときに、たまたまかかったのが、バディ・ガイかなんかだったんだけど、バディ・ガイってブルースの…。もう、泣きそうになっちゃって、「これがシカゴだっ!!」なんて…。あの、若い人には、スティービー・レイ・ヴォーンなんていう、ねぇ、知ってる人多いかと思うけど、スティービー・レイ・ヴォーンは随分向こうで、評価されてたみたいで、シカゴの街に近づいて来たら、随分長く流れてたね、ラジオで。すっごい嬉しくて、やった! ブルースがあるんだっ! みたいな。そういう、あの、アメリカに旅してる時もラジオをたくさん知りました。うん、『クロス・ロード・ブルース』を聞きながらちょっと思い出してみたけど、俺ね、ブルースの話とかね、ま、自分の好きな音楽の話しすっと、止まんなくなっちゃうんだよね。で、今、番組やってること忘れちゃって、スタッフの顔見たら、おめぇ、何話してんの、いつまで!…みたいな、えー、ちらっと、それが、顔が見えましたんで。
えー、じゃあねぇ、もうそろそろお別れの時間なんだけど、おー、最後にじゃあ、まあ、第一回目って言うことで、もう一曲、俺の曲を聞いてください。張り切って、この番組、キングビスケットタイムをこれからやって行きますので、友達とか親戚とか、よ〜ろしく伝えといてくれっ! ってわけで、えー、ハッスルしてやります。
じゃあねぇ、『ハッスル』って曲を仲井戸麗市で聞いてください。
曲/「ハッスル」仲井戸麗市
はいっ、というわけで、仲井戸の、私の曲で『ハッスル』、♪♪ 真夜中に〜、なにコイツうるさいのかけてんだっ!って思ってる人いるかもしれませんが、一応マイルス・デイビスかなんかの渋っぶい、ゆったりしたブルースかなんかかけようかな、とも思ったけどふざけんな!っての、お前等寝てんじゃねーよっ! みたいな。それからモーテルで彼女とイイことしながら、聞いてるヤツ! バカヤロッ!(笑)ハッスルしてんじゃねーよ。まぁ、あの、せっかくラジオ始めさせてもらったんで、ハッスルしてやるぜって意味合いで、えー、夜中にもかかわらず、元気な曲を聞いてもらいました。『ハッスル』でした。イェ!
いゃー(笑)、みなさん。えー、というわけで、ほんとにあっという間でしたけども、30分最後まで聞いてくれて、ありがとう。えーーー。今日から始まりました『キング・ビスケット・タイム』、仲井戸麗市がお送りしましたけど、どうだったでしょうか? なに、こいつ、夜中にベラベラしゃべっちゃったり、うるせーのかけちゃったり、なんて思ってる人もいるかもしれませんが、中には、うぉー、これは他の番組ではなかった曲かけるなとか、いろんな、まぁ、感想をもってくれた人いると思うんですけど、きっとまぁ、その辺は曲目とか自信あんですけども、えー、さっきもいったけど、まぁ、明日学校行ったり、会社行ったりしたらですね「おまえ、夕べ、聞いた? すっごいのはじまったなぁ〜」みたいな、「bay fm、聞いたかよ〜」みたいな、そういうようにですね、皆さんに是非宣伝しといてください。あのー、月曜日ってだいたい憂鬱だよねぇ。俺もガキの頃から、未だになんかあのー、やだね。俺は別に月曜に朝九時にいかないとか職業的にそうじゃないんだけど、でもなんか憂鬱になるよね、日曜日の夜って。そんな時にはですね、この番組を聞いて、元気を出して! うまいことゆうねぇ(笑)。会社なり、学校行ってさぼりましょう!! えー、日曜日の夜、皆さんこれからたくさん楽しみにして下さい。
今ねぇ、かかってんのねぇ、この後テーマ、えー、なにしようかなって迷ってたんだけど、スタッフがちょっと選んでくれたんだけど、これはもう大好きな、ブッカーTとMG S'ってバンドの、さっき旅の話ししたけど、そのメンフィスの、本場メンフィスのバンドですねぇ。当時俺は、メンフィスのホテルでブッカーTとMG S'の大好きなギタリスト、スティーブ・クロッパーさんにエレベーターで会っちゃって、もう、握手求めちゃって、「ピック下さい!」なんつって! 「Show me pick! Give me pick!」なんて……しょうがないですねぇ。
そんな思いもあります。まぁ、そんなわけで、大好きな曲たくさんかけますから、皆さん、えー、ハガキとか下さいねぇ。やっぱDJの人はねぇ、ハガキってうれしいもんねぇ。きっと、ねぇ。今やFAXも電話もあるけど、ハガキが来ると、あっ、ほんとに聞いてくれたんだとか、そういうこと思えると思うんで、ちょっとひかえて下さい。おいっ! ベットにいる奴! 鉛筆とれっ!! なんて…。
bay fm『キング・ビスケット・タイム』の係までです。仲井戸麗市宛てとか入れてくれるともっといいかもしれないね。あと、FAXはね、よしっ! 二十四時間受け付けます!! 夜中でもなんでもいいから! リクエスト、感想などたくさん、あの…下さい。えー、来週からまた、はりきって、ハッスルしてやりますから。日曜日の夜に会いましょう。
そんなわけで、『キング・ビスケット・タイム』、仲井戸麗市・チャボ。今後ともひとつ! よろしくお願いします!!(笑)じゃあね。えー、もー、俺、だいたいみんなと、あのー、例えば、コンサートとか、リハーサルとか、別れる時とか、「さよなら」ってあんまり言わないんだよね。また会いたいからさ。
そーいうわけで、えー、この挨拶で終わります。じゃあな…。
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King Biscuit Time
1996.10.13 on air
はい、皆さんこんばんわ。えー、仲井戸“チャボ”麗市です。
えー、という訳で先週からはじまりました『キング・ビスケット・タイム』、今夜で二回目です。えー、無事にジャイアンツも優勝しまして(笑)、よかった、よかった。
えー、それでですね、先週一回目に早速ハガキを送れよとかいったんですけども、ちょっと、おー、少しだけ紹介しようかな。こいつは川崎市で聴いてくれてる、おまえ だ! イシガキくん、ヒロヤスくんかな?ありがとう! リクエストもしてくれてたんだけど、まー、渋いというか、今時、ジョニー・ウィンター! ストーンズ!ストーンズも『ハッピー』ってキースが歌ってる奴ですねぇ。あとマディー・ウォーターズなんて今時リクエストするヤツいない!! エライ!! おまえっ!また頂戴ね。そいから、船橋市で聴いてくれてる、これはマサコって書いてあるけど「こんばんわ、はじめまして…」、
えー、ハガキを書くのはこの子初めてらしいんだけど、マサコ!お前はエライ!.....くれました。その他、たくさんの方から貰いました。
えー、じゃあまずまた、ともかく一曲聴いて下さい。俺の曲で『向日葵』という曲です。
曲/「向日葵 10.9」仲井戸麗市
はい、えーと、一曲目自分の歌で、えー、『向日葵』って曲を聴いてもらいました。
向日葵っていう花は、まぁ、勿論、皆さんご存じで、夏の、ほんとに、えー、なんかこう、元気が出るような花なんだけど、この曲を書いたときはね、あの、俺はその、ギターとか歌のことなら少しわかんだけど、いわゆる絵、絵画のことはすごく全然、ド素人で、ぜんぜん知らなかったんだけど、ある時、その絵画の世界なんかに出会って、まぁ、一般的なんだけど、ゴッホさんに大変、感銘を受けちゃって…。ただ、どっちかっていうと、最初、ゴッホさんの、あの、膨大な彼が残した手紙の方、その文学の方に、あの大文学に驚嘆したんだけど、まぁ、もちろん絵もたくさん見るようになって、あの有名な「ひまわり」の絵なんかも、あの東京の新宿にある美術館に生で見に行ったりして、ほんとに感動しちゃったりとかして、そっからイメージしてこの『向日葵』って曲をかいたんです。あのー、なんか絵からヒントを貰って曲を作ることとかってあるよね。
俺は、あの、93年に出した『DADA』という自分のアルバムの中に、えー、入ってるんですけども……、それでですね(笑)、何でこれを一曲目に選んだかと言うのは、実はこれを吹き込んだ日が十月九日だったんですね、たまたま、その『向日葵』という曲を録音したのが…。で、なんでその十月九日が意味があるかというと、私の、これ録音している日が十月九日なんですけど、…今日十三日ですけど、なんと!! マイ・バースディと言うことで......あらっ! なんだぁー(笑)、おーいっ!…これっ…、ちょっと!まーた、おまえらっ!
…ちょっと皆さん! お聞きの皆さん、今なんで俺が、こー…、ちょっとアセッてるかといいますとですねぇー(笑)まぁ、あの、スタッフの皆さんが、…まぁ、すいません(笑)、私の誕生日を祝ってくれてるか、バカにしてくれてるか(笑)、ケーキを今、持ってきてくれて、ローソクついてる、まぁショートケーキの、まぁー!! 人のワルい、皆さん、スタッフの若者が、仲井戸の年齢を小馬鹿にしてんですよー(笑)いゃ、皆さんは祝ってくれて、あ、びっくりしました!これは、打合せに…、お前ら! 騙したな!!(笑)、なんて。こういうことやるんですねぇ、うちのスタッフは……。あ、ありがとうございます。…というわけで、いゃ、ちょっと照れ臭いね、自分の誕生日は……。あの、実は今日、あのー、誕生日なんです、お聞きの皆さん(笑)。えー、びっくりしました。十月九日生まれなんです。西暦は一九五○年です。ずーいぶん昔ねぇ、なんて思ってるヤツいるだろうっ!! 昔だよっ! えーとですねぇ、戦後、間もない頃に、東京・新宿でほとんど焼け跡の、少し立ち直ってきたかな?一九五○年生まれです。あの、二十歳前、ティーンエイジャーの頃って、俺は、あの、すごいねじれたガキだったから、「なぁーにが誕生日だよっ」て、それはそれで誕生日にそういう感じで捕らえてたんだけど、二十歳過ぎる頃から、自分の誕生日っていいなって…、とか、彼女と一緒に居る時は、彼女とちょっと、ささやかなお祝いをしたりとかねぇ…。
だけど、三十過ぎ、やがて四十過ぎて、しばらくするとなんか誕生日も照れ臭いなっていう感じになってきたんだけど、ここへきてまた、なんか、こんな、年の誕生日を迎えられるのも嬉しいな、なんて思いも、とてもあります。でも、ちょっと、今、びっくりさせられたけど、照れてる反面、すごくやっぱり嬉しいです。そいでねぇ、あのー、実はねぇ、まぁ、今日、誕生日の話が中心になると思うんだけど、皆もきっと、自分とおんなじ、例えば好きな、あのスポーツ選手とかさぁ、ミュージシャンとか、映画俳優とかそういうの、なんか探したりする事があると思うけど、俺もねぇ、ティーンエイジャーの頃探して、なんと! 見つけた人が、かの! もう衝撃だったんだけど、ビートルズのジョン・レノンさん! ジョンと同じだったんです。十月九日。
彼は、一九四○年生まれですね。ちょうど十歳おにいさんだったんです。もう、これみっけた時は嬉しくて、みんなに自慢しました。あと水前寺清子さんも一緒だったですね。チーター、まぁ、別に(笑)、すばらしい人ですけど、そんなにまぁ…。ジョンの事を言えば、ずっと十歳年上のお兄さんが、もう大憧れの人が全く同じ日にいるという…。で、必ずジョンは十歳上にいて、俺になんかいろんなことを教えてくれてたんですけども、ご存じのように一九八○年かな、もう十六年たちましたねぇ、ああいう事になりました。そいで、いつの間にか、ジョンは必ず十個上に、同じ日に、今頃ジョンも誕生日かなー、なんて思ってたのが、ぷっつり無くなったんですねぇ。そいで気がついてみれば、ジョンはちょうど四十歳で亡くなりましたから、…ボクは、越えたんですねぇ。「ボク」なんて言っちゃいました。
俺はある時期、ジョンの歳を越えちゃったっていうのは、とても不思議で…。ジョンが歩かなかった道をねぇ、自分がほんとに憧れてた人が歩かなかった道を自分が歩き出している……。ジョンは四十二も四十三も知らなかったという…。とても不思議な気持ちになります。うん。しかも、ああゆう亡くなり方って、ほんっとに悔しいだろうなって思いました。そんなわけで、えーと、今日は是非、あの、先週一発目、ビートルズ聴いてもらったんだけど、ジョンをみんなに聴いてもらおうと思って。
十二月になるとジョンがたくさん掛かると思うけど、一足先に、誕生日を祝って天国のジョンに、贈りたいと思います。
えーと、すごくビートルズ時代にジョンを感じさせる曲だったと思ってすごい好きです。『IN MY LIFE』を是非、聴かせて下さい。
曲/「IN MY LIFE」ビートルズ
はい、ジョンいいですね。いまだにこの曲は折にふれて聴きますねぇ。ちょっと、あの、ケーキのローソクを俺、消し忘れたんで…ふぅぅーーっ(笑)なんて。今、消しました、ケーキのローソクを。あのー、ジョンはもともとチンピラだったけど、俺もチンピラで、でも何か自分の好きなことがあれば、なんとか生きてけんだ、なんてきっとジョンに教わったんだと思うけど、それは、エレキ・ギターだったり、ロックンロールだったり。あの、勉強なんか出来たほうがいいけど、出来なくても、友達とかは少なくても、自分の好きなもの一個あれば、なんとかやっていけんのかなぁ、なんて。それは、サッカーでもいいし、俺は、エレキ・ギターとロックンロールした。ジョンの『IN MY LIFE』大好き!!!
はい、この夜中になんと、ジミ・ヘンドリックスで、『ALL ALONG THE WATCH TOWER』。
曲/「ALL ALONG THE WATCH TOWER」
ジミ・ヘンドリックス
まぁー、『キング・ビスケット・タイム』ならではの選曲ですね。夜中にこういうのかける人いないでしょ、今時…ってわけで、なんかねぇ、最近またよく聴くんだよねぇ、ジミ・ヘンは。あのー、まぁ、今あの、曲とかまぁ、四六時中作ってんだけど、俺は。なんかねぇ、あの、別にジミ・ヘンみたいなの作りたいとか、そういうこっちゃないんだけど、なんか、あの、感性を(笑)思いっきり刺激される、というか。もうギターはもちろんすばらしいんだけど、最近、また彼のあの詩ですねぇ、ポエム。もー、あの人のギター自体が詩ですけど、その、彼の残した「詩」がすごいっていうことに改めて、あのー、感動したっていうか、まぁ、宇宙規模のすごさがあるっていう…。まぁ、俺はビートルズも好きだし、ジョンも大好きだし、エリック・クラプトンも好きだし、今、この曲はボブ・ディランの曲ですねぇ、『見はらし塔からずっと』という。ボブ・ディラン本人も、自分のバージョンより、ジミ・ヘンのこのバージョンが好きだ、みたいなこと言ってるくらい、すごい、解釈だと思うんだけど。なんかその、ジミ・ヘンも、ディランも皆すごい好きだけど、ジミ・ヘンはちょっと(笑)、なんか、そのー、別格というか、宇宙単位のなんか、ある意味じゃ、あいつはなんか、宇宙からの使者だったんじゃないかっていう…。そんな気さえしています。ここんとこ、すごいよく聴いてるんで。ジミ・ヘンはそういえば、生きてたら幾つになんのかなぁ?ねぇ、二十七歳くらいで亡くなったでしょう? 大好きなオーティス・レディングもそのぐらいだし、ストーンズのブライアン・ジョーンズもそのぐらいで、ジム・モリスンとかねぇ。そういう人、亡くなった人への思いもあるけど、最近は自分もこういう年齢になったりして、ジョンのああいう話もしたけど、なんかねぇ、今、現役で生きて、頑張っている人、すごく、あのー、違う意味で好きです。それは、一人、クラプトンであったり、……クラプトンもよく聴くなぁ…。すごく好きです。
えーと、まぁ、そういうわけで、ジミ・ヘンなんか聴いて、まぁ曲を作りたいから、そのイメージを広げる為に聴いてるって話したけど…。おー、最近はねぇ、曲作ってるのは、あのレコーディングがあるんです。で、それは、あの、久しぶりにバンドを組んじゃって。
えー、もともとバンド小僧だけど。ここ何年かギター一本でやってたんですけど。バンドを、おー、結成したんで、今、バンドのレコーディングに向けてのリハーサルの真っ只中というか。まぁー、寝ても、ほとんど朝も昼も夜もわかんないっていう世界…。だいたいそうですけど、えー、だいたいお昼過ぎぐらいに起きて、リハーサル行って、帰ってきて、もう延々テープ聴いて、食事しながら、トイレ入りながら、全部、俺はカセットレコーダー置いてますからね、風呂もトイレも…。寝るときは必ず、あの、ヘッドホンですね。これはもう(笑)、離れられないって…。車はカーラジオですから。タバコ買いに行く時もウォークマンですね(笑)。で、自分の曲をチェックしたりして。
こないだ、あのー、夜中にウォークマンして外でたら、十五夜の日がありましたねぇ。もう、あんまり月がきれいなんで、少し自分にも月を見るくらいの余裕持てよなんて、カードレールの上に腰かけて、タバコふかしながら、二十分くらいいたんですけど。でも月見ながらもそのヘッドホンの詩のチェックをしているという…。ここで「月はきれいだ」を盛り込むべきかとか、そーいう考えてる自分がやですねぇ(笑)
まぁ、そんなわけで…(笑)、来年早々発売予定のレコーディングに向けて、えー、やってるところです。
まぁ、バンド名、考えたんだけど、なかなか思いつかなくて、結局『チャボ・バンド』が一番いいんじゃないですかって、一番解り易くてね。ちょっと『チャボ・バンド』って甘いかなっと思ったんだけど(笑)、まぁ、いいかなって、俺らしくて。
その『チャボ・バンド』のデビュー・コンサートを東京の日比谷野外音楽堂でやりました。ちょっと俺は、プレッシャーでいきなり野音はやだよって、散々ゴネたんですけど、まぁ、脅かされて、えー(笑)、やりました。結果的にはとても良かったと思っているんですけど。
まぁ、RCサクセション時代に日比谷野音は、毎年、夏やってたりとか、あのー、『麗蘭』、ストリート・スライダーズの蘭丸くんとのユニット『麗蘭』というのでも一回やったりとか、いろんな思いが野音にはあって、しかも夏の、あの野外ってのはねぇ、風が吹いてきて、とても思い入れがあるので、そこでやらしてもらいました。家族も来ちゃって…。
なんか、ちょっと、堅くなった…あっ!今ねぇ、ちょっと流れてきたこれね、いいねぇ…。この時間帯にぴったり! これはあの、ルイ・アームストロング、サッチモが歌う、『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』だけど、ちょっときいて…。
曲/「WHAT A WONDERFUL WORLD」
ルイ・アームストロング
はい、突然、今、あの、スタッフが流してくれたんだけど、これはその、サッチモの「この素晴らしき世界」とでも訳すのかなぁ、これをなんでかけたかっていうと、そのチャボバンドの野音の時に、一番最後に全部終わって、かけてもらったんですね。これは自分の意志で、これをかけてっつって、お願いしたんだけど。
その、まぁ、「この素晴らしき世界」、しかもこういうトーンの曲で、なにを今時、そんなこんな世の中ひっくり返っちゃって大変な時に「素晴らしき世界」もねぇだろ! みたいな意見もあるかもしれないけど。それを俺、なんか逆に取っててこれは『グッド・モーニング・ベトナム』っていう映画かな、なんかそういう戦争映画で、サッチモがねぇ、慰安に来てこれ歌うってシーンが確かあったと思うけど。まぁ、その、そういうほんとに戦争なんていう状況だからねぇ、極致の、大変な時に「おー、大変だからよぉ、今よぉー、」って歌じゃなくて、「なんて素晴らしい世界だろう!」って歌ったとこにの、逆の感動というか、そういう意味合いをこめて、間違いなく今、いろんな…、いろんな大変な、世の中だろうからって意味合いを込めて、自分のなんか、テーマっつっちゃ、あれだけど、そういう意味合い込めて、大変だけどよぉ、こういう素敵な世界、歌おうぜ、みたいな意味合いでかけてもらったんだけど。
なんか、いいよね。自分のこれからの…、えー、今日、誕生日迎えたけど、先のテーマでもあるかな。こんな世の中だからこそ、素敵な世界を探したい、そんな意味合いでした。
えーと、はやいねぇ、もうそろそろ終わりの時間帯。あとねぇ、チャボバンドでいえばねぇ、あの、11月の3日に、えー、久しぶりだけど、バンドということで、学園祭シーズンと言うことで、学園祭やらしてもらいます。一本だけ! 11月3日にねぇ、日本大学! 日大ですねぇ。
よぉーし、馬鹿な学生、集まれっ!(笑)たくさん来て下さい。11月3日、日大でギンギン、ライブやります。楽しみにしてて下さい。 早いねぇ。もう今週も終わりの時間です。
えーっと、最後にね、その日比谷の野音でもやったんだけど、こないだ出した四曲入りの中から『糧』という曲を聴いてもらいたいんだけど。
これはね、たまたまリクエストを早速もらっちゃって、うれしいねぇ。これは、千葉県。おまえっだ! キョウコちゃん!! えー、キョウコさんから早速リクエスト貰ったんで、お前に贈ろう! えー、この「米」へんに「量」と書いて「かて」と読むというのは、最近知ったんですけども、あんまり素晴らしい字だったんで、そこから刺激されてこの歌を書きました。えー、仲井戸麗市で、これ私の家族に初めて褒められた曲でもあります。聴いて下さい。
曲/「糧」仲井戸麗市
はい、えっと、私の歌で『糧』です。さっきのキョウコちゃん、リクエストカードにねぇ、『糧』かけて下さい。“リクエスト、明日の元気の為に『糧』をかけて下さい。”って。
なんか嬉しいねぇ、こういう自分の曲がそんな風に、あのー、いってもらえると……。俺の兄貴はアイビーかな、言ってみれば、俺と正反対のスポーツマンで、ずっと俺の事、「おーまえ、いつまでそんなことやってんだい」みたいな人で、なんか兄貴に頭あがんなかったりとか。そんな兄貴がね、オーストラリアに住んでんだけど、日本に帰ってきてて、この俺の、この曲が入ってるCDを自分で買ってくれたらしいんだよね、めずらしく。そいで、「おまえ『糧』っていいじゃないかって初めて(笑)言ってくれて。親父もなんか、こないだ電話したら、俺の親父は俳句ずっとやってんだけど、俺はその、親父の俳句はずっと、かねがね、すごいなっと思ってんだけど。自分の親父をそんな風にいうのも、あれだけど。全然俺なんか青臭くって、小僧だなって思って…。親父の俳句見ると。その親父が「『糧』は…、よかったぞ。」みたいな、ゆってくれて(笑)、なんか、その、言葉の人だから、すごく嬉しかったです。ふふっ(笑)、なんか、えー、『糧』って曲聴いてもらいました。「エサ」っていうなよな!(笑)俺のスタッフだよ!(笑)「チャボさん、新曲いいですね、エサ!」バカヤロー! (笑)『糧』でした。
はい。まー、あっという間ですねぇ(笑)。というわけで、最後まで聴いてくれてありがとう。今日はねぇ、あの、花とかここにまだあるけど、さっきケーキいきなり、ワカモノスタッフが脅かしやがって、花貰ったりとか、お酒貰ったりとか、誕生日でした(笑)。
まぁ、ここまでえー、なんだ、来れたからもう少し頑張ってみようかな、なんて。ブルース界と落語界は、大体、あの、五十位でも若手って言う場合があるからねぇ(笑)。まだまだ俺なんか小僧かもしれない。ジョン・リー・フッカーも元気だし、そんなわけで、チャーリー・ワッツやキースもまだバリバリやってるしねぇ、えっ、あの、頑張ろうと思っています。
えー、今日は誕生日、皆さん、ありがとうございました。ハガキでハッピーバースディ書いてくれた子、ありがとう。
えー、そいでですね、ハガキーィ、やFAXもとても嬉しかったんでどんどん下さい。住所いっときますね。はがきのあて先は、千葉市…『仲井戸麗市・キングビスケット・タイム』の係。一応「御中」を入れて下さいね、礼儀ですから(笑)えー、下さい(笑)。
千葉市…bay fm『仲井戸麗市キングビスケット・タイム』の係、御中(笑)これでよろしくお願いします。FAXも二十四時間! まぁ、ふとっぱらですね、bay fmは。えー、FAXない人は、コンビニに走って、えー、書きましょう! 是非皆さん、たくさん下さい。
えー、今週はね、チャボ・バンドでさっきもちょっと話したけど、レコーディングに向けてリハーサルの毎日です。いいアルバムを作りますから、皆さん楽しみにしてて下さい。
えー、月曜日はちょっと、ねぇ、憂鬱だろうけど、それをテーマになんかこの番組やってもいいね。「月曜日をのりきろうぜ!」みたいな。学校へ、会社へ、皆元気で行って下さい。
一週間たったらまた、来週会いましょう! これで別れるんだよね、決めたのもう、先週気に入っちゃって。じゃあな、仲井戸でした。
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