あとがき
 ここに掲載された詞(詩)達は、大半が自分の心の透き間を埋めようとすることで発せられた幼い叫び達だ。それゆえ、その視点はあまりに自分本位であり、もどかしく、はがゆく......儚い。生きること自体に勝ってしまうことば達。生きること自体に勝るはずもない言葉達......。ギターを弾くのが好きだ。詞を書くことが好きだったことは一度もない。しかし書かざるを得ない、書かねば成り立たない自分の宿命ともとっくに出会ってしまっている。いやならやめりゃいいのだ。だいいち、他に何が出来るというのだ......。けれども「出どころが、そんなレベルであろうとも」ここにある詞(詩)、いやメロディーを伴った唄達が、何処かの誰かにある日ポジティブに響いてくれたりしたことがあるばらば、それは本当に何より嬉しい......。

−−他者を刺そうとすることばは容易だ−−
−−自分をかばおうとすることばは容易だ−−

 この歌詞集をプロローグとして、明日そんな次元を少しでも越えうることば達を探して唄いたい......。
何故ならば、儚くともことばの力をも今信じ始めているから......。

 この歌詞集はもともと、今春リリースした2枚のベスト盤を手に入れてくれた方達への特典として作っていただいたものであります。
Thank-you, 東芝EMI and セブンス・マザー。

 世界中にLove&Peaceを......。
 そして今を生きぬく君にLullabyを......。

'03 春 仲井戸“CHABO”麗市


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  あとがき
 高校生の頃、詩集みたいなものを作って、当時そんな光景をよく見かけたように、新宿の街角に立って、誰かに読んでもらおうなんて事を計画した日々があった。が結局それは実現しなかった。デザインスクールに通っている時もそれに似た日々があった。実現しなかった。念願はずーっと持ち続けていた。
 単行本を出せるなんて、様々な思いでいっぱいだ。

 何を書いてもいいし、何を書かなくてもいい、といった呑気なことではない。これは俺の仕事の一つだからだ。仕事なのだ。何かは書ききれないし、何かは書き過ぎてしまう。だがそんな次元の迷いなどどうでも良かった。書くのだ。あふれてくるものを、あふれてこぬものをしぼり出してでも。

 昔から何かや誰かと一緒、同じっていうのが嫌いだった。それは生理でもあるし、精神でもある。何ものにも属さないのが好きだったし、好きだし、好きのままであろうと思う。
 こんな時代にゃまさか無国籍などを勿論願っちゃいない。みんな居場所を探して必死なのであるから、個人のレベルにおいても、国家のレベルにおいてもそんな幼いたわ言は言ってられない。俺の言うところのそれは、精神のエトランゼのフィーリングだ。

 何かを語るには、“体験”こそが説得力をもつ。社会的レベルの面した学術的分析など無意味以下だ。俺にはだ。文字どおりの体験、そして未知への空想としての体験だ。これらの思いがこの単行本を書き綴る上での絶対的な材料となった。キーワードには、千変万化新宿の街、そしてビートルズがあった。一九八五年冬、イギリスへの旅、夢にみた彼等の街リヴァプール探索。そこでビートルズは博物館に収まっていた。次へ進むための一つの区切りとして、自分にとってのある日々を一冊の本に詰め込んだ。
 本文の一人称は迷ったが結局“僕”にした。あとがきは“俺”にした。
 いつか“私”とも出会ってみたい。
 中学、高校の頃、大人になれば何かが解決するものと思っていた。とんでもなかった。もっともっとやっかいな毎日が待っていた。それどころかだいいち大人と子供の境目もつかぬままだ。
 でも、それでもいい日もたくさんあることも気がついた。好きな人達とも出会えることに気がついた。好きな場所があることも見つけた。あたりきだ、しゃりきだ。気分は明日だ。この本に書ききれなかった余白にあるはずの、思いやことばや音をひっぱり出して、さあ唄を書きとめよう。
 今夜テラスに出て、月夜の下ギターを弾くんだ。

'92 春 箱根にて

エッセイ集『だんだんわかった』より

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  文庫版あとがき
 '92年、単行本『だんだんわかった』発表当時、長年の夢の一つであった自分の本を出版してもらえたという事で大満足、大感激であったし、今回こうしてそれを文庫本として残してもらえることなど思いもよらなかったことであるゆえ、重ねてとてもうれしい気持でいっぱいだ。
 自分の職業としては、ステージでギターを弾き、唄うという事、そしてスタジオでのレコード制作ということがメインである。一冊の本を作ることなどという行為は全くの素人であるからして、それを完成させるまでの長い過程の大変さを本当に実感として味わった日々を覚えている。そして初めて自分の本を出せる大きな歓びと共に、やはり、二兎を追う者は一兎も得ずといったことをも痛感したのであった。本来の自分の仕事においても修練の日々でありながら、大それた事を、ってな思いだ。
 そういった想いとは別に、当時自分自身に価値あることとして残ったことに、単行本『だんだんわかった』を持ってライヴを全国各地で演<や>れたことがある。“ポエトリー・リーディング”とタイトルし、一部では本の中からいくつかの章をセロニアス・モンクのピアノをバックに朗読し、二部ではギターをかき鳴らし唄うといったライヴだ。これはレコードといったものを発表した時に、それをたずさえてツアーに出るといった事がライフ・スタイルとなっているミュージシャンとしての自分の生活スタイルを、本という物の発表にも応用してみては、といったアイディアであった。『活字として書かれたことばというものを、音声にして第三者に届けるといった表現方法を、自分にはやれるのだぞ』といった背伸びを覚悟の上での小さな、しかし確固たる意思あるアピールでもあった。結果的にはうまくやれた日、やれなかった日をとトータルして、様々な収穫を得ることとなったという自負がある。
 今回文庫本にしていただくにあたって、改めて自分自身をもう一度ゆっくり読み返す機会を得て、なんとも稚拙な文章の数々に、気はずかしくなる事ははなはだ多し…。であるが、'92年当時の精一杯のそれが力量であると、誤字及び一部明らかに誤ったと思われる表現以外は手直しはしなかった。そしてせっかくの文庫本化ゆえ、読者の方への小さなプレゼントとして、当時構成上の都合などからボツとした、“リヴァプール”と“心に残ったコンサート達”そしてRCサクセション時代、『月刊カドカワ』に掲載していただいた“旅日記”を新たにつけ加えました。
 文庫本化を実現させてくれるべく、単行本の時同様、多くの力を貸してくれた、セブンス・マザー代表・伊藤エミ君、今回の作業の進行役を務めてくれたセブンス・マザー渡辺久美子君、文庫本化を承諾してくれ、現実化してくれた角川書店、佐藤秀樹君、素敵なイラストを描いてくださった早乙女道春さんに感謝の気持ちをこめて。そして解説は、ある時ある雑誌で、僕のコンサートの感想をとても印象的な表現で書いて下さったことで出会った楡井亜木子さんにお願いし、快諾していただきました………あ・り・が・と・う。

 文庫本となった『だんだんわかった』、この小さな本が、ある日、どこかの誰かのかばんの中や、ポケットに入ってたら………………う・れ・し・い。

 ギターや唄、曲作りに修練する毎日に、いつかほんのちょっぴり余裕を持てるような日がもしあったならば、その時にまた一冊の本を作れたならば………し・あ・わ・せ・だ。

'95 冬

仲井戸“チャボ”麗市

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